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JR尼崎駅北側、徒歩5分のところで、カウンセリングおよびセラピーをおこなっている臨床心理士です。

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日々随想(846)

 
2019/08/27(Tue) Category : コラム
フロイトは精神病理の発生を退行によるものと考えている。その一方、フロイトがクライエントにカウチに寝転がってもらって自由に思い浮かぶことをしゃべってもらうというのは、退行をうながしている。また、その程度の差はあれ、すべてのセラピー、カウンセリングは、退行をうながしている側面がある。

精神病理の発生を悪性の退行、精神分析、セラピー、カウンセリングを良性の退行と考えることができる。また、精神病理の発生それ自体を、一個人が生まれ変わるための「創造の病い」ととらえなおすことができる。創造のためには、退行が必要である。

クライエントの創造の仕事を完成させることをめざすのが、精神分析、セラピー、カウンセリングである以上、良性の退行を育み、創造の仕事に取り組んでもらうということである。

適応は、反退行であって、適応をあせってはよくない。もっともっと退行すべき「時」がある。

発達障害の人々への支援は、「適応」ということだけしか考えていない感があり、「退行の創造性」という観点が欠如している感がある。

一個人における精神病理の立ち現れを、「創造の病い」の「時」ととらえなおすならば、たとえ話として、山田花子さんならば、「山田花子さん病」であって、精神病理には、それぐらいの個人差、個性がある。

そのような精神病理の個性に深く寄り添い、「創造の病い」としての、たとえば、山田花子さんならば、山田花子さん病という創造の病いにおける創造の仕事をささえるのがセラピスト、カウンセラーである。

一個人における精神病理の立ち現れは、シンクロニシティ、あるいは、コンステレーションの観点からとらえなおして、その一個人におけるカイロスであるととらえなおすと、きわめて人間的である。
 
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日々随想(845)

 
2019/08/21(Wed) Category : コラム
いわゆる退行(regression)は、ネガティブなものではなく、ポジティブなものであり、創造性(creativity)へとつながるものである、と、僕は考えている。

いわゆる投影(projection)も、ネガティブなものではなく、ポジティブな、想像力(imagination)である、という側面もある。Imaginationを三木清先生が「構想力」と訳されたが、その感覚のほうがよい。literalismは、imaginationの対極にあるとも言える。

発達障害の人々の心理的テーマは、literalismである、と、絞り込んで考えたほうがわかりやすい、理解しやすいかもしれない。現代日本社会の時代とは、literalismの時代、と、言ってもいいかもしれない。発達障害が「時代の病理」であることも、なんだかよくわからんが、つながっているのかもしれない。

なんだかよくわからんが、現代日本社会の文化が、あんまりおもしろくない感もあるのは、literalismの時代であって、文化に含蓄や両義性や多義性や象徴性のようなものを入れ込まなくなったことあるいは入れ込めなくなったことにあるのかもしれない。literalismの時代とは、平板な文化の時代である。

カウンセリングとは、understand、imagination、 intuitionということになるであろう。
 
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日々随想(844)

 
2019/08/01(Thu) Category : コラム
発達障害当事者に愛着の問題があるのは、両親、教師、支援者が当事者に精密についていけない(精密に寄り添えない、と、言ってもよい)ということによるものである。いわゆる「毒親問題」も、これで説明がつく。発達障害当事者における愛着の問題は、とりあえず、これで説明がつく。神田橋條治先生がおっしゃる胎児期における愛着障害仮説よりは、ずいぶんマイルドだが、現実的である。もっとも親しい発達障害当事者にも確認したが、合っている、とのことである。
 
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日々随想(843)

 
2019/07/04(Thu) Category : コラム

花に水をやり、ごみを出し、洗濯をし、洗い物を洗い、朝風呂に入り、風呂上りに高野山の白檀を焚き、チャイコフスキー「交響曲第5番」を聴きながら、宇治茶を飲む。また楽しからずや。


松浦友久編訳「李白詩選」岩波文庫、通読。約6年前に購入してわからずに本棚に入れておいた、詩仙、李白(701~762)の漢詩がようやくわかった。老荘思想を吸収した、仙人・隠者志向の偉大なる酒好きの文人の詩だ。酒好きの人にはお勧めで、酒の詩が多く、尊厳(ディグニティ)を回復できます。

黒川洋一編「杜甫詩選」岩波文庫、通読。詩聖、杜甫(712~770)の漢詩は綺麗である。酒が出てくる詩もある。交友があった年長の詩人、李白を歌った詩がよい。個人的には、酒好きとしてのスケールの大きさで、李白を取る。


李白にせよ、杜甫にせよ、社会的には苦労しており、放浪している。詩人というのは、そういうものかもしれない。



俳人、鬼貫(1661~1738)の

おもしろさ 急にハ見えぬ すゝき哉

という句、気に入っている。



英国の詩人、ウィリアム・ブレイク(1757~1827)の

一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見、
君の掌のうちに無限を
一時のうちに永遠を握る
(松島正一訳)

という詩はよい。英語の原文で読んでもわかりやすい。


 
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日々随想(842)

 
2019/06/30(Sun) Category : コラム
JR尼崎駅北側に立ってはる「ビッグイシュー 日本版」の販売員のおっちゃんは、福井県から若い頃大阪に出てきて会社員を長年された、もうすぐ、古希をむかえる、やさしい、いい人です。古希祝になにかできれば、と、考慮中です。おっちゃんと俺とは二十歳の年の差がありますので、共有できる昔話で、お互いにその時何歳ぐらいの時で何をしていたかを回想するのは、おもしろいです。たとえば、大阪万博のとき、僕は2~3歳の幼児、おっちゃんは20歳代前半の会社員でした。雑談回想法的対話をしていると、お互いに癒されます。おっちゃんのライフヒストリーを聞き書きしてまとめて文章化し、綺麗に製本化して古希祝としておっちゃんにだけ贈るというアイデアも検討中です。これは友情なのか、臨床心理学的研究なのか、社会学的研究なのか、フィールドワークなのか、なんだかよくわからんが(笑)、よくわからんのがおもしろい。おっちゃんは、スマホもパソコンもつかえないが、それは、人間の値打ちには関係ない。ある日、となりに「ポケモンGO」の大集団がいた時、「俺らの時代は終わった(笑)。」とおっちゃんは言ったが、ここで言う俺らには俺も含まれているので、「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」 ということだ。
 
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