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officematsuura3

Author:officematsuura3
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JR尼崎駅北側、徒歩5分のところで、カウンセリングおよびセラピーをおこなっている臨床心理士です。

住所:尼崎市潮江1-15-3
電話:06-6492-2388
携帯:090-3870-6101

詳しくは、ホームページをご覧ください。

 
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日々随想(836)

 
2019/01/31(Thu) Category : エッセイ
神経症(ノイローゼ)は、暗示的に「呪い」あるいは「呪縛」にかかっているような状態であるように思われる。漫画の「月下の棋士」という作品に、「千年縛り」というエピソードがあるが、神経症とは「千年縛り」にかかっているような状態である。神経症の治癒とは、千年縛りから抜けるような現象である。また、神経症(ノイローゼ)の「呪い」あるいは「呪縛」は、対人関係によって、かかることが多いように思われる。超自我によって自我が縛られている状態のことである。

一度出来上がった対人関係のパターンは、反復され続けることが多い。その対人関係のパターンが歪んでいたら、生きづらいが、その歪んだパターンを見抜き、気づけば、修正可能である。それが心理療法のめざすところのひとつである。

直観機能は、身体的部位としては、おそらく、額のあたりにある。このテーマについては手塚治虫の「三つ目がとおる」という作品が参考になるし、仏陀の額が参考になる。

セラピストに必要なものとして、現実感と身体感覚がある。現実感とは、時間と空間の正確な認識である。身体感覚とは、自然な反応としての身体の動きへの気づきである。現実感、身体感覚ともに、感覚機能である。セラピストにとって、現実感と身体感覚は重要である。

心身症の少なくとも一部の原因は、極めて心理的である。従って、心理療法が成功すれば治癒する。

ユングの言うところのペルソナは、外に向いた「人格」であり、それを鍛えていくと、生きやすくなる。

空海の曼荼羅は、おそらく、心理的なものでもある。

ユングの言う、影(シャドー)は、「自分自身」である。

投影とは、こころのなかの元型を無意識に他者に映し出してしまい、他者を客観的に観察できないことであり、投影の引き戻しができれば、他者を客観的に観察することができる。具体的には、落ち着いて、冷静に、他者を観察し、他者を見抜けば、投影の引き戻しは可能である。

攻撃性と性的エネルギーは、おそらく、通底していて、身体的部位では、おそらく、下丹田に在る。









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日々随想(835)

 
2019/01/09(Wed) Category : コラム
あるクライエントにすすめられて、NHK BS1スペシャル「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」とNHK BS1スペシャル「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」をNHKオンデマンドで観たけれども、経済学とは哲学あるいは思想のようなものなのだなあ、と感じ取れて、おもしろかった。

NHK大河ドラマ「いだてん」の第1回を妻の母親と観ていて、思ったのだけれども、昔の日本人はスポーツであるとかクラブ活動であるとかをやる習慣が今ほどはあまりなかったようだ。ちなみに、妻の母親は、高校時代、軽音部だったそうだが、今と違って、楽器をやるのではなくて、クラシックなど音楽観賞するクラブだったようだ。また、ちなみに、妻の母親は、戦後数年たった小学校高学年の頃、ソフトボールをやったらしい。戦後になってアメリカ文化がどっと入ってきてのことなんだろうなあと思った。

正月に祇園界隈に行く用事があって、生まれてはじめてゆっくり観て廻ったが、おもしろかった。舞妓さんや芸妓さんの習い事のスケジュール表を偶然観たところ、びっしりさまざまな習い事をするスケジュールがつまっていて少し感心した。考えてみれば、彼女たちの仕事は「総合芸術」だ。ある喫茶店に入ると、その喫茶店の常連客である彼女たちの芸名入りの団扇が並んで飾られていた。また、祇園祭のちまきも多数置かれていた。老舗の店もいくつかあり、線香の専門店や一味や七味などの専門店に入り、おみやげを買った。焚くと、名号が立ち現れてくるという顕字香を発見し、書斎で焚いているが情緒がある。また、河井寛次郎やバーナード・リーチの陶器を扱っている店に入り、ゆっくりさわって観賞させてもらった。バーナード・リーチの作品には彼が英国人であることもあってどこか日本のどこにもない抽象性を感じた。河井寛次郎の小ぶりの作品を気に入って購入したくなった。朝鮮のかなり古い陶器も置いてあったが、金額の桁が違った。ある美術館でロベール・ドアノー(1912―1994)というパリの写真家の展覧会が開催されていたので観たが、パリの人々を撮った白黒写真群は美味いコーヒーのように深いコクのある味わいであった。昔、作家の夢枕獏さんに偶然京都の骨董屋で出会い、サインをしてもらったことがあるが、「京都はおいしい」と書かはったのを思い出した。

縁がある京都の神社で新春祈祷を受けてきたけれども、祈祷をとりおこなってくださった神主に神社あるいは神道の儀礼についていろいろ教わったが、ものすごくおもしろく、勉強になった。また、只今、禁酒中です、と言うと、御神酒は口につけるだけでよかったので、禁酒はまだなお継続中である。

年末から年始にかけて、おもに京都で、座禅を三回、気功を三回、ヨガを四回、それぞれ体験したところだが、とりあえず、今、現在までのところ、冬の早朝の寺院での座禅は身体(感覚)が世界あるいは自然へと開かれていく清々しい純粋なる瞑想(メディテーション)、気功は「はからい」を捨てつつも醒めた意識を保持しての「自動運動」が動き出すことによって「先天の気」が身体全身に流れ出すことによっての動きのなかでの瞑想(メディテーション)、ヨガは身体全身の筋肉の各部位を順を追って意識的に緊張と弛緩を繰り返すことによって自ずから自然に瞑想(メディテーション)を活性化させる身体技法であるように感じ、考えられる。ここで言う瞑想(メディテーション)とは、いま流行りの言語表現では、「マインドフルネス」ということになるように思われる。また、座禅、気功、ヨガともに、呼吸法がポイントのひとつであるのが通底しているように思われるし、もう少し大きくざっくり言えば、身心の活性化であるのが通底している。あと、気功は身体のある部位を動かすことによって、別の部位が自ずから自然にある動きをするという身体システムの原理のようなものを活用しているようなところがある。また、座禅や気功は、閉眼乃至半眼でやることが多いが、それは普段の日常生活では視覚情報に圧倒されていてリラックスできにくいので閉眼乃至半眼にすることによって視覚情報流入を削減し普段相対的にあまり使っていない視覚以外の感覚器官を活性化しそれらをもつうじて世界や自然に開かれ、つながり、深いリラックスに入るということであるように思われる。

赤ワインをやめたことで食欲が増進し食事がすごく美味く、身体がよく動くので、座禅、気功、ヨガを始めたが、トレッキングも始めつつある。今、現在のところ、京都に座禅や気功やヨガをやりに行ったさいに、神社仏閣を中心に歩くことから身体を慣らしてトレッキングのための準備をしている。年末年始にかけて訪れた神社仏閣は都合十五箇所ほど、美術館等の展覧会三箇所、あと旧三井家下鴨別邸、岩倉具視幽棲旧宅、哲学の道も歩いた。

座禅は実力を見込んだ、ある禅僧、気功は気功の実力を見込んだ先生二人、ヨガは直観で選択して気に入り指導を受けることにした先生二人から教わっている。それから、ジムでパーソナルトレーナーから身体改善の指導を受けている。身体のことは、真面目に取り組めば、わりとすぐに結果が出る感があるので、おすすめかもしれない。逆に言えば、カウンセリングでこころのことに取り組むことのほうが相対的に難易度が高いかもしれない。だからこそ、やりがいがあるのである。

臨床心理士の専門性とは、シンプルにはクライエントが必要とする専門的情報を教えるのでもあって、ただたんに黙って傾聴しているだけではない。



 
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日々随想(834)

 
2019/01/05(Sat) Category : コラム
NHK BSプレミアム「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~」というドキュメンタリー番組を観たが、屋久島の縄文杉など、日本のいわゆる巨樹を取材した番組でとても観ごたえがあった。じっさいのところ、たとえば縄文杉は、材木としてはあまり役に立たない木であったからこそかえって人間に切り倒されることなく今日まで立っているわけであるという、深い老荘思想的逆説も在るようだ。

年賀状を手書きで文字だけで書いてみたが、個人的にはなかなか新鮮な体験であった。ついでに手書きで絵も描いたほうがベターであったとも思っている。来年はそうしてみよう。

五十過ぎたら身体のことをやってみよう、ということで、座禅、気功、ヨガなどに取り組み始めているが、相当に勉強になっている。たとえばヨガであるが、いわゆるジムで開催されているヨガと、ちょっと探し出してきて参加してみるヨガではずいぶんことなっていたりするのが奥深く、おもしろい。ちなみに、ジムのヨガはフィットネスみたいな感じでスピードがはやすぎてあんまり深みがなかったという印象である。もちろん、ジムでトレーナーに指導を受けながらマシーンなどで自然科学的に身体改善をめざすのはとってもよい。先日、西宮の甲山にまったくの無装備で登ってみてえらい疲労したので、反省して、靴や服装などの装備を整備して態勢を整えたので、これで関西の近場の山々にはアプローチできる。学生時代には無装備で大文字山や愛宕山に登っていたけれども、五十過ぎてそれをやったら無謀である。さてさて、どの山に登ろうか。あるいは、熊野古道でも歩こうか。五十過ぎて身体のことをやるには、自然科学的かつ哲学的かつ芸術的に、であろう。

左利きであり、野球は左投げ左打ちであるけれども、小学一年生のときに字は右に矯正されたので右の方が字は綺麗だが左でも字は書ける。絵は左で描く。マークシートの試験ならば、右手で問題を解きながら左手でマークシートを塗りつぶすことができる。ちなみに、箸は左でこれまで使ってきたが、右でも箸を使うことができるのに最近気づいた。

身体のことをやる一貫として、食後に宇治茶を飲み始めたが、これまた、おもしろい。また、ちょっとした安い食材を買って来て調理も始めているが、なかなかにおもしろい。

ユングの「赤の書」の英語版を眺め返していて、ユングが描いた絵画は上手いので、シンプルに画集という位置づけでとらえたならば、必要以上にややこしくなくてよかろう、とも思った。
 
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日々随想(833)

 
2019/01/01(Tue) Category : コラム
赤ワインを完全に断って数ヶ月食事は美味いし身体はよく動く、たばこはプルームテックへと切り換え、運動(トレーニング)を始めた。人生百年時代、折り返し点過ぎたので、残りの半生、身体を労る。座禅、気功、ヨガを体験し、自分に合ってるのを続ける。食に凝るとおもしろく、身体に凝るとおもしろい。

ドキュメンタリー映画を好んで観る。「岡本太郎の沖縄」、「地獄とリビドー」、「ピアソラ」。ちなみに、きのう、テレビで「シェーン」を生まれてはじめて観たが、おもしろかった。

アルヴォ・ペルト作品を好んで聴く。

 
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日々随想(832)

 
2018/12/20(Thu) Category : コラム
私淑する神田橋條治先生が、最近、出版されたご著書で推薦されていた、栗本啓司「人間脳の根っこを育てる」花風社を通読。この本は栗本啓司さんと花風社代表取締役の浅見淳子さんの共著と言った方がよく、発達障害をめぐる花風社の取り組みをつうじてのひとつの答え、到達点である。身体的―無意識的―言語以前的アプローチによって身体性あるいは身体感覚を育んでいくことをつうじて、発達障害は少なくとも多少なりとも改善し得るし、治癒し得る可能性を示唆しているが、僕の直観によれば、それは「正解!」である。後は、発達障害の当事者たちが各々どのようにそれを具体的に実践するかであるが、栗本さんが具体的に紹介している動作例や神田橋先生が示唆するところの「気持ちいい」と各個人の身心が感じる行為を日常生活の中に入れ込めばよいということになる。ふと、成瀬悟策先生の動作法を思い出した。

パリに行って来た、あるクライエントから教わったことだが、パリでは、いまだに、路上でわりと多くの人々がたばこを吸っていて、とくにパリジェンヌがたばこを吸っているのが目立つとのことである。一方、日本では、どんどん、たばこが吸いにくくなってきている。
 
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