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JR尼崎駅北側、徒歩5分のところで、カウンセリングおよびセラピーをおこなっている臨床心理士です。

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長倉洋海・谷川俊太郎「小さなかがやき」偕成社

 
2014/10/16(Thu) Category : 書評
フォトジャーナリストの長倉洋海さんを私が知ったのは、私の記憶が確かであれば、学生時代に、わが友、フジタの下宿に長倉洋海さんの本があったからだと思われます。いやー、この本はよい!長倉洋海さんが紛争地帯あるいは辺境地帯で取材をされて写真におさめた世界の子どもたちの写真にあわせて、谷川俊太郎さんが詩をつけている本です。大昔、わが「兄貴」、井上亮さんと酒を飲んでいて、たしかスリランカだったと思いますが、あのような子どもたちの瞳のかがやきは、いまの現代日本社会の子どもたちにはない、といった話を教えていただきましたが、そんなことを思い出しました。ただ、日本でも、土門拳さんの写真のなかの、古き良き日本の子どもたちの表情は、この長倉洋海さんの写真のなかの世界の子どもたちとどこか通底しているように思います。そうそう、この本に載っている谷川俊太郎さんの詩は、どれもよく、おもわず、私の赤青鉛筆で線をいっぱい引いてしまいました。線を引いた箇所を少しだけ引用しますと、


でも私はひとりです
私という人間はひとりきりです
あなたがひとりきりなのと同じように

もうひとつだけ、引用しますと、

しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだがとけていないということはない

やはり、もうひとつだけ、引用しますと、

わたしたちのかなしみを
あなどらないでください
わたしたちはあなたのように
つかれてはいないから
かなしみはあたらしい
よろこびもいかりも

わたしたちのこころを
あなたとおなじと
おもわないでください

最初に引用したものは、この本での初出で、以下のふたつは、すでに初出があります。

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谷川俊太郎「こころ」朝日新聞出版

 
2014/10/15(Wed) Category : 書評
「こころ」と言えば、夏目漱石の代表作のひとつである「こころ」ですが、日本を代表する詩人である、谷川俊太郎さんの近年の詩集である、この「こころ」という本は、けっこうよく、お勧めです。大昔、私がまだ若かったころ、たしか立命館であった、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会の学会に出席して、だれだか忘れましたが東大の教授が英語で言うところの「spirituality」という概念について長々と学術的、学問的に話したあとに、私がフロアーから、「spiritとsoulの違いは、どう考えられますか?」と質問したところ、その方は、「soulまでは、私はまだまだ研究出来ていません。」といったニュアンスの発言をされました。しかしながら、私の質問に対して、同じくフロアーから、私の京大の先輩であり、着流しの和服姿で著名な、實ちゃんこと、實川さんが、「spiritとsoulの違いなど、どうでもよい。日本語には、『こころ』という美しいことばがあります。」と発言してくださり、なんだか目から鱗が落ちました。實川さんの私に対する最大の教えは、このひとことに尽きます。たしかに、日本語には、精緻にたどってゆくと、西洋の言語と少なくとも同等の包含力があります。話はそれましたが、この「こころ」という詩集はよい。日本臨床心理士資格認定協会は、臨床心理士を「心の専門家」として定義づけているようなので、この本は、臨床心理士には、お勧めの本です。psychology(心理学)とは、psyche(こころ)とlogos(ことば、知)から成り立っている学問ですので、心理学に関心がある方々にもお勧めです。谷川俊太郎さんのこの「こころ」という本は、「こころ」という日本語をテーマにして、詩的に60とおりに表現して詩に書いておられます。谷川俊太郎さんは、昔は難しい詩を書いておられましたが、この本では、老境になって、よい詩を、平易なことばでわかりやすく表現されています。ちなみに、私は、日本の詩人では、白石かずこさんの詩が好きです。また、谷川さんの近著で、写真家の長倉洋海さんの写真にあわせて詩を書いている本がありますが、数日以内で読み上げて、気が向いたら、書評を書きます。

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やなせたかし「人間なんておかしいね」たちばな出版

 
2014/09/02(Tue) Category : 書評
やなせたかしさんが「アンパンマン」の作者であることは知っていますが、じっさいのところ、「アンパンマン」のアニメをちゃんと一度も観たことありませんので、「アンパンマン」の思想性について、私はまったく無知です。ただ、私の記憶が確かであれば、私が愛する「のだめカンタービレ」にやなせさんやアンパンマンが出てきたので、たぶん、それで私はやなせさんのことを憶えているのでしょう。現代日本文化において、おそらく唯一、世界のトップにある文化は、漫画とアニメとゲームであると私は思っています。ゲームは、大学生の頃、「ゲームにはまったらヤバい。ゲームだけはやるまい。」と誓ったので(笑)、ゲームはやりませんから(といっても、囲碁や将棋や麻雀やトランプなどの古典的なものは必要があればやります)、クライアントの方々でゲームが好きな方々に、ゲームの話をお聴きして教わり、最新のゲームはすごいなあ、と思うことがあるぐらいなものです。漫画とアニメも、最近では、クライアントの方々からお聴きして教わり、これはおもしろそうだ、と思ったものぐらいしか、フォローできていません(最近では、宮崎駿監督最後の作品「風立ちぬ」のDVDを購入して観たぐらいのものです)。ただ、漫画やアニメの作者の持っている知性は、半端じゃなくすごいことは、手塚治虫さんや宮崎駿さんがいるわけなので、信用しています。というわけで、「アンパンマン」を真剣に観る時間的余裕もないので、この本、わかりやすく言えば、相田みつをさんの本のようなものですが、つまり、筆でことばをつづっている本を読みました。よいなあと思った詩文には付箋をつけておきましたので、引用いたします。「イマヒトトキノコノイノチ タチマチオワルモノナノニ フユカイナコトシタクナイ ナンデモミンナアイシタイ ナモナイヒトノソノナカデ ゴクオダヤカニクラシタイ エラクナッチャイケナイ ミットモナイ」「愛 その愛 ゆれるかなしみ」「ドングリのみが枝をはなれるときドングリはさけんだ ぼくはぼんやり落ちはしない かならず地面につきささり 何百年も強く生きて 森いちばんの大木になるぞ」「となりあわせになったしらないひとと なにか話したいと思ったが 話すことはなにもなかった ぜひはなしたかったのに」「なんのために生まれて なにをしていきるのか わからないままおわる そんなのはいやだ」「あこがれよ なかよくしよう おまえだけが ともだちだ」「心と心がふれあって なんにもいわずにわかること ただそれだけのよろこびが 人生至上の幸福さ」「草にすわっていると 草のやさしさがわかる ぼくにおしつぶされてぺちゃんこになった草は 風が吹くとまたおきあがる そしらぬ顔でゆれている すこしもぼくを恨んでいない」「空っぽの植木鉢の ほんの少しの泥の中に ちいさな花が咲いた だれも植えなかったのに ひとりで咲いた」「影はいつもは忘れられている でもいつでもあなたといっしょ」「この世のさびしさを なぐさめるために いっしょうけんめい 花は咲くのか」「木や草や花に生まれたかったとおもうときがある 木や草や花は人間になりたいと思ったことがあるだろうか たった一度でも」「わすれないであのころのこと 草や花や虫たちと友だちだったおさない日」やなせたかしさんは、「手のひらを太陽に」の作詞家でもあるそうです。

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斎藤清明「今西錦司伝」ミネルヴァ書房

 
2014/08/21(Thu) Category : 書評
京都学派の中心的存在であった今西錦司先生(1902~1992)の評伝です。今西先生は、京都西陣の裕福な織元の家に生まれて、のびのびと育ち、昆虫好きの少年、そしてやがてのちに、生涯で1500山以上を登頂され、日本山岳会長もされることになる、山好きの少年でした。今西先生は、京都一中、三高時代、山に登りまくっておられましたので、京都帝国大学進学のさいは、昆虫の研究がどちらも出来る、理学部と農学部で迷っておられましたが、農学部のほうがより拘束がすくなく、山に登ることができる休みが多いので、農学部に進学されました。今西先生は、大学院は理学部に進学されて研究者となり、カゲロウの研究をつうじて、京都の加茂川でのフィールドワークで四種類のカゲロウの幼虫が見事に別々にすみわけていることを発見して、「すみわけ」理論を生み出しました。登山家であり、体が強い、今西先生の真骨頂は、フィールドワークであり、そして、そこからなにかを発見する直観だったと思われます。今西先生は、戦時中のモンゴルでのフィールドワークから、遊牧の起源について、「農耕生活者が家畜化したヒツジやウマを農耕地域外に連れ出したところから遊牧生活がはじまったという従来の説に反対して、もともとヒツジやウマもその野生状態では一定地域内を遊牧しており、そこへ人間が入りこんできて遊動する動物と共棲し、動物の遊動に従って人間もまた遊動するようになったのが、遊牧生活の始まりであると。つまり、遊牧は人間が動物につき従って移動するものだというのである。」といった説を生み出します。今西先生は、フィールドワークでのじぶん自身の体験から自説を生み出しますから、他の研究者たちと議論するときには、「それは、あんたのオリジナルですか」としばしば、詰問されたそうです。戦後、ウマのフィールドワークをきっかけに、サルやゴリラなどの霊長類学を、伊谷純一郎先生をはじめとする人々に指導してゆかれます。そのなかに、河合隼雄先生のお兄さんである河合雅雄先生がいらっしゃいました。河合雅雄先生をつうじて、おそらく河合隼雄先生は、フィールドワークという学問の方法のすごさを知ったからこそ、日本の臨床心理学において、事例研究(case study)を大切にされたのだと思います。心理学は、人間の心を研究する学問ですが、人間の心は、いくら実験室で実験をしたり、あるいは、文献をいくら読んだりしても、リアルな人間の心はわかりません。だからこそ、臨床心理学では、リアルな人間の個人の心に誠実に向き合い、一歩や二歩や三歩は踏み込んでコミットメントして、個人の心をよい方向にかえるという、カウンセリングあるいはセラピーをつうじてのまさにフィールドワークである事例研究(case study)をいちばん大切にします。今西先生の学問的な最大の業績は、フィールドワークを伝授したこと、そしていわゆる学際的な学問のやりかたを伝授したこと、のふたつです。今西先生は、桁外れにスケールの大きい人であり、晩年になっても、登山の登頂時には、山頂でお酒を飲まはったようです(笑)。また、私がこの本を読んで感じたかぎりでは、それが山やカゲロウやウマやサルやゴリラであろうと、じぶんが愛着をもって研究対象にしたものに対しては、かぎりない愛と尊敬をもって接しておられます。今西先生から、研究者がもっとも学ぶべきことは、そのあたりにあると思います。私の世代は、もはや京都学派の末裔の世代です(笑)。大学が文部科学省に徹底的に管理されていて、大学教員が雑務・雑用にふりまわされているこのご時世、今西先生のような、スケールの大きい学者が出てくる可能性はどんどん低くなっていると思われます。一昔前のドラマで「小さくまとまんじゃねえ!」という主人公のセリフがありましたが、この今西さんの評伝を読んでの感想ですが、大学教員をふくめた学者・研究者たちに言いたくなりました。ちなみに、京都学派の末裔である私は、小さくまとまっていませんので、今西さんや、今西さんが浪人したり留年してたりして同期になった今西さんの親友である桑原武夫先生(1904~1988)たちの夢とロマンを勝手に引き継ぎます。

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岸政彦「街の人生」勁草書房

 
2014/08/12(Tue) Category : 書評
この本は、社会学を専攻している著者および著者の学生さんが、(1)南米出身の日系人で日本で生活しておられて、ゲイである方、(2)生物学的にはもともと男性であるが心は女性でありニューハーフとして生きておられる方、(3)摂食障害を経験して、それをほぼ脱した方、(4)シングルマザーの風俗嬢の方、(5)ホームレス経験が長かった方の合計5人の生活史(life history)をインタビューしたものを、活字におこして本にしてあるものです。社会学者の仕事は、ともすると、誰かの、たとえば、欧米の社会学者の「理論」にひきつけて、書くことがありますが、この本には、まったく「理論」的記述はなく、純粋なインタビューだけで、本にしているところがまず、評価できます。(1)では、まず、彼の幼少期、南米の人々、いわゆるラテンの人々のおおらかさというか、スケールの大きさに、少し感動いたしました。南米のいわゆるラテンの人々にくらべると、日本人は、良くも悪くも、ピューリタンあるいはプロテスタントのようなものです(ただ、彼が後で語っておられるように、南米は、日本と比較して、はるかに治安が悪いという、悪い側面もあります)。彼は、中1から、日本に来ましたが、ご両親から、学校でなにかあれば、「殴れ。あとは、いいから。って、言われてたの。あとは何とかするから。って。」という日本で生活する子どもにとっては、とても器量の大きいご両親であり、彼は安心して日本の教育を受けることができました。また、彼は、大学生になって以後、じぶんはゲイである、ということに気づき、ゆっくりと少しずつ相手をえらんでカミングアウトされてゆかれつつ、「らくー」になってゆかれ、「肩の荷が下りた感じ」になってゆかれます。(2)では、もともと生物学的には男である方がニューハーフとして生きてゆかれるのですが、ニューハーフにおけるセクシュアリティの微妙な主観的、心的感覚には、グラデーションがあることを教えられました。また、いわゆるホステスさんの世界でも同じだと思いますが、このニューハーフの方は、能力あるいは実力があるというか、よい意味での頭がいいことに、少し感動いたしました。このニューハーフの方のひとことひとことは、人生勉強になります。(3)では、摂食障害を経過されて結婚されている女性の方が、「別に人から何言われても何も思わない。自分の芯が、もうある、できたので、それは左右されることはないです。」「芯があるっていうか、ブレないですよね。人に何言われても、例えば太ったって言われても、太ったんだなーって思っても、それによってダイエットし始めるとかはないし。」「で徐々に、外に目が向いて行ったんやと思う。外に、はい、思います。外に目がいくの、大事やと思う、うん、自分は、よかった。うん。」とおっしゃっておられますが、摂食障害がよくなる、あるいは消えてゆくというのは、こんなイメージであると思われます。(4)では、風俗嬢というのは、その程度の賃金で仕事をされておられるのかあ、と驚いたことと、シングルマザーの子どもに対する、誠実で真摯で真面目な思いが伝わってきました。(5)では、ホームレス経験が長かったおっちゃんの生活史(life history)にディグニティ(尊厳)を感じました。また、たとえホームレスでも、人間関係、対人関係にけっこう気をつかわれる、ということを教わりました。「やっぱね、人ってね人間てね、一人では絶対生きていけん。少しでも人と話をしたりするのがやっぱり、長生きの秘訣っていうか、長生きの秘訣。」
この本を読んであらためて思ったのは、ひとりひとりの人間の生活史(life history)のディグニティ(尊厳)をちゃんとわかって、付き合ってゆくことの大切さ。また、おそらく、この本のインタビューを受けた人々の総意として、いかなる差別もなくしたい、というお気持ちが伝わってきます。

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